永守重信|信じる力が道を拓く——“出来る”を現実にした男

政治家・経済人

「自ら“出来る”と信じた時に、その仕事の半分は完了している。」

この言葉を生涯の信条として生きた経営者がいます。
日本電産(現・ニデック)創業者、永守重信(ながもり しげのぶ)さん

たった4人で始めた小さな町工場を、いまや世界トップクラスのモーターメーカーへと育て上げた男です。
彼の人生には、“信じる力”がどんな奇跡を生むのか——その答えが詰まっています。


生い立ちと幼少期

1944年、京都府向日市。戦後間もない混乱の中で生まれた永守重信さんは、決して裕福とは言えない家庭で育ちました。

けれど、どんなに暮らしが苦しくても、愚痴を言うより先に「どうすればできるか」を考える少年でした。壊れたものは自分で直し、頼まれたことは最後までやり抜く。

そんな姿を見た周囲の大人たちは、幼い永守少年の芯の強さに舌を巻いたといいます。

中学に上がると新聞配達を始め、雨の日も雪の日も毎朝決まった時間にポストへ新聞を届け続けました。

まだ夜が明けきらないうちに自転車を走らせ、学校に着くころにはすでに一仕事を終えている。

誰に褒められなくても、「自分で稼いで学ぶ」ことが彼にとっての誇りでした。

後に彼は、「頼れる人はいなかった。だから自分を信じるしかなかった」と語っています。

幼い頃から“信じること”が、永守さんにとって生きる力そのものだったのです。

高校を卒業すると、奨学金を頼りに立命館大学へ進学します。

昼はアルバイト、夜は勉強という日々。

休む間も惜しんで働き、学び続けるその姿に、周囲の友人たちは「いつも何かを考えている人だった」と口をそろえます。

効率よく仕事をするにはどうすればいいか、仲間と協力して稼ぐ方法はないか。

若い永守さんにとって、“考える”ことはすでに経営の訓練でした。

家庭では、両親から「やると決めたら最後までやりなさい」と教えられて育ちました。

この教えが、彼の人生に深く根を下ろしていきます。

のちに社員へ向けて語った「うちは貧しかった。でも、心まで貧しくなったことは一度もない」という言葉は、まさにこの幼少期の記憶を映すものです。

お金や環境がなくても、誠実さと努力があれば道は開ける。

そう信じて生きてきた彼の歩みは、やがて日本電産(ニデック)の創業へとつながっていきました。

どんなに小さな一歩でも、自分を信じて踏み出すこと。


それこそが、永守重信さんが人生の最初に身をもって学んだ「原点」でした。

挑戦と創業

大学卒業後、永守重信さんは「社会に出たらすぐに挑戦する」と決めていました。

1967年、立命館大学経済学部を卒業した永守さんは、京都のモーター製造会社に入社します。

入社3年目には営業でトップの成績をあげ、若くして管理職を任されるほどでした。

けれど、順調なキャリアの裏で、永守さんの心にはいつも一つの想いがありました——

「自分の理想を形にしたい」という情熱です。

その当時、会社の製品開発にはスピード感がなく、「このままでは世界に勝てない」と危機感を募らせていました。

周囲が慎重に議論を重ねる中で、永守さんは「考えているだけでは変わらない。行動で示すしかない」と強く感じたといいます。

1973年、29歳のとき、ついに独立を決意。資本金わずか100万円、社員3人で**日本電産(現・ニデック)**を設立しました。

最初のオフィスは京都市内の民家の一室。

机も電話も中古、資金は常にギリギリ。

けれど、永守さんには確かな自信がありました。

彼が信じていたのは、技術よりも「人のやる気」でした。どんなに小さな会社でも、“本気の人間”が集まれば世界を変えられる——

その信念が、日本電産の原動力になっていきます。

創業当初、取引先からは「小さな町工場に何ができる」と相手にされない日々が続きました。

納期の短い注文を受けても、部品が間に合わない。

資金が尽きかけ、社員の給料も払えない——そんなギリギリの状況で、永守さんは決して諦めませんでした。

「今できる最大限をやる。それでダメならその時考えよう」と、自ら現場に立ち、ハンダ付けも設計もこなしたといいます。

やがて、日本電産は“小さくても絶対に納期を守る会社”として評判を得るようになります。

永守さんが掲げた「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」の精神は、社員たちに浸透し、会社のDNAとなりました。

創業から数年後、世界で急成長するハードディスク業界からモーターの受注を獲得。

これが、のちに日本電産を世界トップメーカーへと押し上げる大きな転機となります。

永守さんは振り返ります。

「技術や知識よりも、まず信じること。自分を信じ、仲間を信じ、やればできると思うこと。それがすべての始まりでした。」

29歳の青年が、小さな町家から始めた挑戦は、やがて世界100社以上を傘下に持つグローバル企業の礎となりました。


挑戦とは、無謀ではなく“信念をもって進むこと”。


永守重信さんの創業の物語は、まさにその言葉を体現しています。


苦悩と生き方

もちろん、順風満帆ではありませんでした。


資金繰りに追われ、注文が途絶えた時期もありましたが、それでも永守さんは「出来ない」とは言わない人でした。

「出来ない理由を探すな。出来る方法を考えろ。」

社員には厳しく、時に怒号も飛び交いました。


けれどその裏には、「社員を食わせたい」「会社を潰させない」という強い愛情がありました。
いつしか社員たちは、彼を“怖いけれど信頼できる社長”と呼ぶようになります。


名言と哲学

永守重信さんの人生には、数々の名言が刻まれています。

「出来ると思ったら、必ず出来る。」
「スピードは命。情熱は魂。」
「自ら燃えろ。燃える者だけが人を動かせる。」

それらの言葉は、どれも現場で生まれた“実践の哲学”です。


彼にとって仕事とは、誰かに頼まれたことではなく、
「社会をよくするために、自らやるべきこと」。

その考えが、日本電産を世界企業へと導きました。


まとめ

永守重信さんの物語は、「信じる力」の証明です。
何もないところから始めても、情熱と信念があれば、未来は自分の手で変えられる。

「自ら“出来る”と信じた時に、その仕事の半分は完了している。」

この言葉の重みは、彼が歩んできた道そのもの。
挑戦するすべての人へ、背中を押してくれるような優しい力があります。


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