佐久本秀行とは?太陽光パネルを「ゴミにしない」未来をつくろうとした男

政治家・経済人

2025年8月。

岡山県新見市にある株式会社新見ソーラーカンパニーの公式サイトに、一つのお知らせが掲載されました。

代表取締役・佐久本秀行さんが急逝したという知らせでした。

佐久本さんは49歳。

使用済み太陽光パネルを高純度の資源へと戻す「佐久本式ソーラーパネル熱分解装置」を開発し、太陽光パネルを「使って終わり」にしない仕組みをつくろうとしていた人物です。

太陽光発電と聞けば、「環境にやさしいエネルギー」というイメージがあります。

けれど、屋根や山の斜面に並ぶ大量の太陽光パネルも、永遠に使えるわけではありません。

いつか寿命がくる。

では、そのときパネルはどうなるのでしょう。

捨てるのか。
埋めるのか。
それとも、もう一度資源に戻すのか。

佐久本さんは、太陽光パネルを販売する側にいながら、その「最後」に目を向けました。

「売りっ放しではいけない」

その思いから始まった挑戦は、やがて使用済みパネルから資源を取り出し、再び新しいパネルへ戻す「Panel to Panel」という構想にまで発展します。

佐久本秀行さんとは、いったいどんな人物だったのでしょうか。

佐久本秀行は1975年、沖縄県に生まれた

佐久本秀行さんは1975年、沖縄県生まれ。

川崎医療短期大学放射線技術科を卒業後、岡山県新見市内の病院に放射線技師として就職しました。

後に太陽光パネルのリサイクル技術を開発することになりますが、その原点をたどると、子ども時代に行き着きます。

佐久本少年は、捨てられていたテレビやファミコンを見つけると、分解していたそうです。

分解して、洗って、もう一度使えるようにする。

誰かが「もういらない」と捨てたものを見て、

「これ、まだ使えるんじゃないか」

と考える子どもだったのです。

後の人生を知ってからこの話を読むと、なんとも象徴的です。

大人になった佐久本さんが相手にしたものが、テレビやファミコンから巨大な太陽光パネルに変わっただけだったのかもしれません。

高校時代に出会った太陽のエネルギー

高校時代、佐久本さんはテレビで太陽電池の特集を目にしました。

石油などの限りある資源とは違い、太陽はどこにいても降り注ぐ。

そのエネルギーに強く惹かれたといいます。

その後、川崎医療短期大学の放射線技術科へ進学。

X線をはじめとする物理の原理を学び、1996年に卒業すると、新見市内の病院で放射線技師として働き始めました。

ここまでなら、一人の医療従事者の人生です。

ところが、太陽への興味は消えていませんでした。

秋葉原で部品を集め、自分で太陽光発電を始めた

放射線技師として働く一方で、佐久本さんは太陽光発電の実験を始めます。

東京・秋葉原で部品を買い集め、自分で組み立ててみる。

しかし当時は、今のように必要な機器を簡単にそろえられる時代ではありませんでした。

国内企業に太陽光パネルを供給してほしいと頼んでも断られる。

それならどうするか。

佐久本さんは、自分で中国の太陽光パネル工場へ向かいました。

現地で交渉し、信頼関係を築き、パネルの供給へとこぎ着けます。

必要だったパワーコンディショナーについてもメーカーと交渉しました。

そして2009年8月、株式会社新見ソーラーカンパニーを設立。

放射線技師として働きながら会社を立ち上げ、当初は二足のわらじで事業を進めました。

医療の世界にいた人が、秋葉原で部品を探し、中国へ渡り、気がつけば太陽光発電会社の社長になっている。

かなり変わった経歴です。

でも佐久本さんの人生を追っていくと、不思議なくらい一本につながっています。

「どういう仕組みなんだろう」

「自分でできないだろうか」

テレビを分解していた少年が、そのまま大人になったようにも見えるのです。

「売ったパネルを最後まで見届けたい」

太陽光発電事業を続けるうち、佐久本さんの中に一つの疑問が生まれました。

このパネルが使えなくなったら、どうするのか。

太陽光パネルにも、いつか寿命がきます。

大量に設置すれば、その先には大量廃棄の問題が待っています。

環境に良いと思って販売してきたものが、最後には環境を汚す廃棄物になってしまう。

それではいけない。

佐久本さんは「メーカーとして最後まで責任を持ちたい」と考え、2017年から太陽光パネルの廃棄問題に取り組み始めました。

ここから、彼の仕事は「太陽光パネルを売る」から、

「太陽光パネルを最後まで生かす」

へと変わっていきます。

倉庫にこもり、実験を繰り返した

太陽光パネルは、簡単には分解できません。

ガラス、太陽電池セル、銅線などが、EVAと呼ばれる封止材によって強固に接着されています。

ただ壊すだけならできる。

けれど、もう一度使えるほどきれいな状態で材料を取り出さなければ、「資源」としての価値は下がってしまいます。

佐久本さんは実験を繰り返しました。

研究しては失敗。

また実験。

そして、また研究。

2024年には衆議院環境委員会に参考人として出席し、自ら開発の経緯を説明しています。

そこで語ったのは、

「有機物なら溶かしてしまえばいい」

という発想でした。

そこから熱分解という方法にたどり着き、2019年、ついにプロトタイプが完成します。

ガラス。

太陽電池セル。

銅線。

強固に接着されていたパネルを、それぞれの材料へと分離することに成功しました。

「佐久本式ソーラーパネル熱分解装置」が生まれた

こうして誕生したのが、

「佐久本式ソーラーパネル熱分解装置 Atmos」

です。

過熱水蒸気を利用して太陽光パネルを熱分解し、ガラスや太陽電池セル、銅線などを高純度の状態で取り出します。

新見ソーラーカンパニーによれば、燃焼によって処理するのではなく、二酸化炭素を排出せずに有機物を分解できることが大きな特徴です。

つまり、

「パネルを処分するために壊す」

のではない。

「もう一度使うために分ける」

のです。

2021年には日本で特許を取得。

その後、中国、インドなど海外でも権利取得を進めました。

2024年には連続処理を可能にする実用化へ向けた動きが進み、2025年には米国での特許取得も会社ブログで報告されています。

新見市の一企業から始まった技術が、世界へ向かっていました。

ゴミだったパネルを、もう一度パネルに

しかし佐久本さんは、「分解できた」で終わりませんでした。

その先に描いたのが、

「Panel to Panel」

です。

使用済み太陽光パネルを分解する。

材料を回収する。

その材料を使って、再び太陽光パネルをつくる。

単なる廃棄物処理ではありません。

資源を循環させる仕組みそのものをつくろうとしたのです。

2023年には、使用済みパネルから再生した「リボーンパネル」の試作に成功。

さらに、将来の再資源化を前提にした「サステナパネル」の販売も始めました。

そして2025年には、太陽電池モジュールメーカーのリープトンエナジーと、水平リサイクルに向けたパートナーシップを構築。

使用済みパネルを再び製品へ戻すための「PVリボーンパーク」構想も進められていました。

夢物語だったものが、少しずつ産業になろうとしていたのです。

「日本は資源輸出国になれる」

日本は「資源の乏しい国」とよく言われます。

けれど佐久本さんは、これから大量に出てくる使用済み太陽光パネルを、ただのゴミとは考えませんでした。

ガラス。

銅。

シリコンなどの素材。

きれいに取り出して、もう一度使うことができれば、それらは廃棄物ではありません。

資源です。

佐久本さんは、リサイクル技術を確立することで、

「日本は資源輸出国になれる」

という未来まで描いていました。

捨てるものしか見えない場所で、資源を見る。

ここでも、子どものころの佐久本少年が顔を出します。

一社でできないなら、みんなでやればいい

佐久本さんが考えていたのは、自分の会社一社だけが成功することではありませんでした。

太陽光パネルの回収。

分解。

材料の再資源化。

そして新しい製品の製造。

これを一社だけで完結させることは難しい。

そこで企業や研究機関などと連携し、循環の仕組みそのものをつくろうとしました。

佐久本さんが目指したのは、

産官学民「オールジャパン」での資源とエネルギーの循環。

地方で回収したものを地方で再生し、そこで新しい産業や雇用も生み出す。

太陽光パネル一枚のリサイクルから、地域経済の姿まで考えていたのです。

子どもたちの「夢」を応援した

もう一つ、佐久本さんらしさが見える活動があります。

新見市の小学6年生を対象にした「ドリームチャレンジャー事業」です。

子どもたちに「夢」をテーマに作文を書いてもらい、その夢を応援する活動で、会社創業10年の節目から始めました。

佐久本さんは、次世代を担う子どもたちを「宝」と表現しています。

考えてみれば、彼がやってきたことは、ずっと「次」に向いていました。

使い終わったパネルの次。

資源の次。

エネルギーの次。

そして、自分たちの次に生きる子どもたち。

新見ソーラーカンパニーが掲げる言葉は、

「美しい地球を次世代へ」

でした。

そして突然、佐久本秀行さんは急逝した

2025年8月、新見ソーラーカンパニーの公式サイトに、佐久本秀行さんの急逝を知らせる文章が掲載されました。

49歳でした。

インターネット上では「8月28日」とする情報も広がっていますが、会社の公式発表では詳しい死亡日時や死因は明らかにされていません。

そのため、ここではそれ以上を推測することはしません。

ただ、あまりにも早い死だったことだけは確かです。

しかも事業は、これからというところでした。

会社の沿革には現在も、

「2026年度 佐久本式ソーラーパネル熱分解装置1号機導入予定」

と記されています。

佐久本さんが取り組んできた問題は、彼が亡くなったからといって消えたわけではありません。

これから太陽光パネルが次々と寿命を迎える時代がやってきます。

そのとき私たちは、

「環境のためにつくったものを、最後はどうするのか」

という問いから逃げられなくなるでしょう。

佐久本さんは、その問いをずっと前から考えていた人でした。

「壊れたら終わり」にしなかった人

佐久本秀行さんについて調べていて、私は何度も子ども時代の話に戻ってきました。

捨てられていたテレビやファミコンを拾う。

分解する。

きれいにする。

もう一度使えるようにする。

大人になってからも、やっていることは驚くほど似ています。

使い終わった太陽光パネルを集める。

分解する。

資源を取り出す。

そして、もう一度パネルに戻そうとする。

もちろん規模はまったく違います。

けれど、根っこにあるものは同じだったのかもしれません。

誰かが、

「もうゴミだ」

と言ったものを見て、

「いや、まだ使えるんじゃないか」

と考える。

そして、考えるだけではなく、本当にその方法をつくってしまう。

佐久本秀行さんが残したものは、一台のリサイクル装置だけではないのでしょう。

「捨てる前に、もう一度考える」

そんな考え方そのものだったのかもしれません。

太陽光パネルが大量廃棄される時代が来たとき、

岡山県新見市で、誰よりも早くその問題に向き合っていた人がいた。

その名前を、覚えておきたいと思います。

佐久本秀行。

壊れたものの中に、次の未来を見つけようとした人です。

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