静かに、しかし確実に世界を変えてきた科学者がいます。
京都大学名誉教授・北川進さん。
2025年、ノーベル化学賞の有力候補として改めて注目を集めています。
その理由は、北川進さんが生み出した「多孔性金属錯体(MOF)」という画期的な素材。
これは“見えない穴を持つ結晶”で、空気中の分子を自在に吸着・分離できるというものです。
この発見は、エネルギー問題や環境対策の切り札とも言われ、
CO₂の回収、水素の貯蔵、さらには薬剤運搬まで、
さまざまな分野で応用が進んでいます。
華やかな言葉を好まない北川さんですが、
その研究の歩みはまるで“静かに燃える炎”のよう。
努力と好奇心を積み重ねながら、見えない世界を見つめ続けてきました。
この記事では、北川進さんの生い立ちから研究人生、そして最新ニュースまでを、
人間的な視点でやさしくたどっていきます。
基本プロフィール
- 名前:北川 進(きたがわ すすむ)
- 生年月日:1951年生まれ(74歳・2025年現在)
- 出身地:京都府
- 学歴:京都大学大学院工学研究科 博士課程修了(工学博士)
- 専門分野:無機化学・錯体化学・多孔性材料化学
- 所属:京都大学名誉教授、同志社大学特別客員教授
- 主な功績:多孔性金属錯体(MOF:Metal–Organic Framework)の開発
- 受賞歴:日本化学会賞、トムソン・ロイター引用栄誉賞、ウルフ賞化学部門 ほか多数
- 研究テーマ:「分子をデザインする」「空間を設計する」
- 人物像:温厚で謙虚。学生や若手研究者に対して常に「発想を恐れるな」と語りかける教育者。
生い立ちと幼少期
北川進さんは、1951年、京都府で生まれました。
古都の静けさと、研究者が多く暮らす知的な街の空気のなかで育ちます。
家庭はごく普通の家庭でしたが、幼い頃から「観察すること」が何より好きな子どもでした。
雨のあとに地面をのぞき込み、水たまりにできた泡の形を観察したり、
理科の実験キットを使って家の中を“研究所”のようにして遊んでいたそうです。
ある日、理科の授業で鉄と酸の反応を見て「見えない変化が起こる」ことに心を奪われ、
その瞬間から「化学って、生き物みたいに面白い」と感じたと語っています。
それが後に、分子の“中の世界”に魅せられる最初のきっかけとなりました。
中学・高校時代は、理系の学問に没頭。
特に高校時代は、夜遅くまで化学の参考書を読み、
家族から「もっと寝なさい」と注意されるほどの勉強熱心さだったとか。
それでも、北川さんは「勉強」というより「探検」のような感覚で化学に向き合っていたといいます。
未知の反応式や、分子模型の中に広がる小さな世界をのぞく時間が、
少年にとっての“冒険”だったのです。
京都大学に進学したのは、「好きなことを極めるため」。
入学後も、研究室で夜を徹して実験を繰り返し、
同級生の間では「静かに燃えるタイプ」と呼ばれていたそうです。
このころの経験が、後の北川さんの信条――
「目に見えない世界を設計する」ことの原点になりました。
活動の転機・挑戦
京都大学大学院を修了した北川進さんは、大学に残って研究者の道を歩み始めました。
当時の化学の世界では「見えないものを測る」ことが難しく、
分子の中に“空間”をつくるという発想は、ほとんど夢物語のように思われていました。
それでも北川さんは、分子同士のつながりや結晶構造の中に、
「分子の隙間を設計することはできないか」と考え続けました。
1990年代初頭。
誰も本気で取り組んでいなかった「多孔性金属錯体(MOF)」の研究を始めます。
周囲からは「そんなもの、すぐ壊れる」「意味がない」と笑われたこともあったそうです。
しかし北川さんは、そうした声を静かに受け流し、
実験ノートを一冊、また一冊と積み上げていきました。
夜遅く、研究室の蛍光灯の下で結晶の光を眺めながら、
「この中に、見えない“空間”があるはずだ」とつぶやいたという逸話も残っています。
そして1997年――。
ついに、世界で初めて安定した多孔性金属錯体を合成することに成功。
それは、分子のレベルで“空間を設計できる”という全く新しい化学の扉を開いた瞬間でした。
この発見は、世界中の研究者に衝撃を与えました。
エネルギー、環境、医療、あらゆる分野に応用が可能な“夢の素材”として、
MOF研究は爆発的に広がっていきます。
後年、北川さんはこう語っています。
「成功するために特別な才能はいらない。
大事なのは、“見えないものを信じる勇気”です。」
失敗を恐れず、ひとつの可能性を信じ抜いた姿勢。
それこそが北川進さんという科学者の“核”なのです。
苦悩と生き方
大きな発見の影には、いつも静かな葛藤がありました。
北川進さんがMOF(多孔性金属錯体)の研究を始めた頃、
実験は失敗の連続でした。
結晶はうまく形成されず、測定データも不安定。
「やはり夢物語だったのか」と周囲が離れていく中で、
彼だけは一つの信念を手放しませんでした。
「未知を追うとき、人は孤独になる。
でも、孤独の中でしか“本当の発見”は生まれない。」
北川さんがそう語ったのは、50代を迎えた頃。
若い研究者に囲まれながら、誰よりも穏やかに、
しかし誰よりも深く物事を見つめていたといいます。
研究室では、学生が失敗して落ち込むと、
彼は静かに笑って「それでいい」と言うのが常でした。
「うまくいかないときほど、データはしゃべっている」
その言葉に励まされた教え子は数知れません。
北川さんの研究室は、どこか実験室というより“人間塾”のような雰囲気があったといわれています。
一方で、自身の生き方はとても質素。
学会の授賞式でも派手なスピーチを避け、
「みなさんのおかげです」とだけ語って壇を降りる姿が印象的です。
休日も研究ノートを片手に散歩をし、
思いついた分子構造を落ち葉の形からひらめくこともあったそうです。
その穏やかな日常の中で、彼は「科学とは、自然への対話だ」と考えていました。
人間が自然を支配するのではなく、
自然の中にある理(ことわり)を静かに聞き取ること――
それが北川進さんの、研究者としての哲学でした。
代表作・実績・影響
北川進さんの名を世界に知らしめたのは、やはり「多孔性金属錯体(MOF)」の発見でした。
1997年に世界で初めて安定したMOFを合成して以来、
この素材はエネルギー・環境・医療など、
人類の未来に関わる幅広い分野で注目を浴びることになります。
分子レベルで“空間”を設計できるというこの技術は、
ガスの吸着・分離、二酸化炭素の回収、さらには医薬品の輸送にも応用され、
「地球に優しい化学」の象徴と呼ばれるまでになりました。
彼の論文は世界中で数多く引用され、
2020年にはクラリベイト引用栄誉賞を受賞。
ノーベル賞に最も近い日本人研究者の一人として、
その名が何度も取り上げられています。
しかし、北川さん本人は名声を追うタイプではありません。
表彰台の上でも、いつも穏やかに微笑み、
「これは私一人の成果ではありません。
自然と、仲間たちが教えてくれた結果です。」
と語ります。
北川さんの研究の本質は、科学の力を「人の幸せ」にどうつなげるかという問いでした。
分子を“閉じ込める”ことで、地球の未来を“開く”。
その発想は、研究を超えて哲学のような深みを帯びています。
今では、世界中の研究者が「北川モデル」をもとに
新しいMOFを次々と生み出しています。
つまり、彼の仕事は“完結”ではなく、
次の世代に引き継がれる“始まり”だったのです。
そして何より、彼の生き方そのものが多くの人に影響を与えました。
静かに努力を重ね、見えない世界を信じ続ける姿。
それは、科学者だけでなく、人生に迷うすべての人にとっての希望でもあります。
「発見とは、最後まであきらめなかった人に微笑む。」
北川進さんのこの言葉は、
研究という孤独な旅の中で見つけた“人間の光”そのものです。
まとめ
北川進さんの人生は、まるで静かな実験のようです。
派手な成功ではなく、ひとつひとつの“問い”に耳を傾けながら、
見えない世界を信じ続けた半生でした。
幼い頃から理科が好きだった少年が、
やがて世界の化学を変える発見をする――。
けれどその根底にあったのは、「知りたい」という純粋な気持ちと、
失敗を受け入れる勇気でした。
分子をつなぎ、空間をつくり、
その中に“希望”を見いだした北川さんの研究は、
今も世界中で息づいています。
科学とは、世界を支配することではなく、
世界と静かに対話すること。
その言葉の通り、彼の歩みは「優しさのある科学」を教えてくれます。
北川進さんの生き方は、研究者だけでなく、
どんな道を歩む人にとっても“信念を貫く勇気”を与えてくれるのです。
FAQ
Q1. 北川進さんの出身地は?
→ 京都府出身です。京都大学で学び、のちに教授として教鞭を執りました。
Q2. 代表的な研究は?
→ 「多孔性金属錯体(MOF)」の発見です。分子レベルで空間を設計する画期的な素材として、環境・医療・エネルギーなど幅広く応用されています。
Q3. 受賞歴は?
→ クラリベイト引用栄誉賞(2020年)など多数。ノーベル賞候補としてもたびたび注目されています。
Q4. 研究の信念は?
→ 「見えないものを信じる勇気」。失敗を恐れず、自然の声を聴く姿勢を何より大切にしています。
Q5. 北川進さんの人柄は?
→ 穏やかで控えめ。学生や若手研究者に深く信頼され、「静かなる探究者」と呼ばれることもあります。


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