2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪で、日本フィギュアスケート史に新たな1ページが刻まれました。三浦璃来選手と木原龍一選手、通称「りくりゅう」が、ペア種目で日本勢初の金メダルを獲得したのです。ショートプログラム5位からの逆転優勝という展開は大きな話題となり、多くの人の記憶に残る大会となりました。
しかし、この快挙は決して偶然に生まれたものではありません。三浦選手のペア転向という決断、木原選手が挫折を経験しながらも競技を続けてきた歩み。その別々の道が2019年に重なり、7年間の積み重ねを経て大舞台で実を結びました。
本記事では、三浦璃来選手と木原龍一選手の生い立ちや経歴をたどりながら、「りくりゅう」誕生までの軌跡を丁寧に振り返っていきます。
Contents
三浦璃来・木原龍一とは?日本ペア初の金メダルまでの歩み
三浦璃来選手と木原龍一選手は、「りくりゅう」の愛称で親しまれているフィギュアスケートのペア選手です。2019年にペアを結成して以来、国際大会で着実に実績を重ね、日本のペア競技の歴史を塗り替えてきました。2022年の北京五輪では団体戦で銀メダルを獲得し、ペア種目でも日本勢初となる7位入賞を果たします。日本フィギュア界にとって、大きな一歩となる結果でした。
そして2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪では、ショートプログラム5位から巻き返し、フリースケーティングで世界歴代最高得点となる158.13点を記録。合計231.24点で、日本勢初のペア種目金メダルを獲得しました。ショートからの大逆転という展開もあり、この勝利は国内外で大きな注目を集めました。
ただ、この金メダルは一大会で突然生まれたものではありません。シングルからペアへ転向した三浦選手の決断と、二度の五輪出場を経てもなお競技を続けてきた木原選手の選択。別々の道を歩んできた二人が2019年に出会い、7年間かけて築いてきた信頼と積み重ねが、あの歴史的快挙につながったのです。
三浦璃来の生い立ちとペア転向の理由
幼少期|ディズニーがきっかけで始めたスケート
三浦璃来選手は2001年12月17日、兵庫県宝塚市に生まれました。5歳のとき、ディズニー作品に憧れたことをきっかけにスケートを始めたといいます。家族に連れられて初めてリンクに立った日が、競技人生のスタートでした。
幼少期から運動能力が高く、とくにジャンプの踏み切りの強さや高さには周囲も一目置いていたそうです。身長は小柄ながら、身体のキレとスピードを生かした滑りが持ち味で、早い段階から将来を期待される存在でした。
その後はシングルスケーターとして国内大会に出場し、ジュニア世代で着実に経験を重ねていきます。体格的には決して大きい選手ではありませんでしたが、持ち前の跳躍力と表現力を武器に、一歩ずつ実力を伸ばしていきました。
シングルからペアへ転向した背景
当初はシングルスケーターとして国内大会に出場していましたが、2015年にペア競技へ転向します。中学年代に差しかかる頃、自身の将来を見据え、新たな可能性を探る中での決断だったといいます。
シングルではジャンプの安定感や体格差が結果に影響する場面もあります。一方で、身長146cmという小柄な体格は、ペア競技では大きな強みになります。リフトやツイストリフトでは、軽さが高さやスピードにつながりやすく、演技全体の安定感にも影響します。
ペアでは、男性選手が持ち上げる際のバランスや回転軸の正確さが重要とされます。三浦選手の身体能力と軽さは、まさにその特性に合っていました。もちろん、シングルとは異なる技術を一から習得する必要があり、簡単な挑戦ではありませんでした。それでも、この転向がのちの飛躍へとつながる大きな一歩となったのです。
三浦璃来選手は、落ち着いた受け答えが印象的です。試合後のインタビューでも感情に流されることなく、状況を整理しながら丁寧に言葉を選びます。年齢は木原選手より9歳下ですが、大舞台でも冷静さを失わない精神的な強さがありました。
身長146cmと小柄ながら、リンクでは堂々とした滑りを見せます。ツイストリフトやジャンプでは空中姿勢が美しく、体幹の強さと安定感が際立っています。体格を弱みとせず、競技特性に合った強みに変えてきた姿勢は、彼女の大きな魅力の一つです。
一方で、会見では木原選手に軽くツッコミを入れる場面もあり、自然体の明るさものぞかせます。冷静さと柔らかさを併せ持つ存在であることが、ペアの安定感にもつながっているといえるでしょう。
146cmの体格が強みになった理由
三浦璃来選手の身長は146cmと、フィギュアスケート選手の中では小柄な部類に入ります。シングル競技ではジャンプの幅やスピード、体格差が影響する場面もありますが、ペア競技ではその体格がむしろ強みになります。特にリフトやツイストリフトでは、女性選手の軽さが高さや回転の安定性につながりやすいとされています。
三浦選手は持ち前の跳躍力と体幹の強さを生かし、空中姿勢の美しさや着氷の安定感を磨いてきました。国際大会でも高難度のツイストリフトを成功させ、技術点で高い評価を受けています。小柄であることを不利と捉えるのではなく、競技特性に合った武器へと変えていった点は、彼女のキャリアを語るうえで欠かせない特徴です。
三浦璃来選手の表情には、派手さはないものの、芯の強さがにじんでいます。大舞台でも視線がぶれず、静かに自分と向き合うようなまなざしが印象的です。その内側の強さが、リンクでの安定した演技にも表れているのかもしれません。
木原龍一の生い立ちと挫折の経験
シングル時代とペア転向
木原龍一選手は1992年8月22日、愛知県東海市に生まれました。4歳でスケートを始め、ジュニア時代はシングルスケーターとして国内大会に出場していました。中京大学へ進学後も競技を続け、スケーティングの基礎やジャンプの精度を磨いていきます。
シングルで世界を目指す中、自身の体格や持ち味をどう生かすかを考えるようになります。身長174cmという体格やパワー、安定した滑りは、ペア競技との相性が良いと判断されました。そして2013年、本格的にペアへ転向する決断をします。
ペアではジャンプに加え、リフトやスロージャンプ、デススパイラルなど、シングルとは異なる技術が求められます。一から学び直す覚悟が必要でしたが、この挑戦が後の二度の五輪出場、そして三浦璃来選手との出会いへとつながっていきました。
ソチ・平昌五輪出場とパートナーの変遷
木原龍一選手は、高橋成美選手とのペアで2014年ソチ冬季五輪に出場しました。当時、日本のペアとしては久しぶりの五輪出場であり、世界の強豪と戦う貴重な舞台となりました。上位進出には届きませんでしたが、国際舞台で得た経験は大きな財産になったといえます。
その後、高橋選手とのペアは解消されます。新たに須崎海羽選手とペアを組み、2018年平昌冬季五輪に出場しました。2大会連続での五輪出場は、日本のペア競技においても珍しい実績です。ただ、世界選手権やグランプリシリーズでは表彰台に届かない時期も続き、思うように結果が出ない苦しい時間も経験しました。
ペア競技は、技術だけでなく信頼関係の積み重ねが不可欠です。パートナーが変わるたびに呼吸やタイミングを一から築き直す必要があります。そうした難しさの中で結果を追い求める日々は、決して順風満帆ではありませんでした。
それでも木原選手は、競技を続ける道を選びます。その選択が、後に三浦璃来選手との出会いへとつながっていきました。
アルバイト時代に続けた挑戦
須崎海羽選手とのペアを解消した後、木原龍一選手は新たなパートナーを探しながら競技を続けていました。当時は所属先も定まらず、練習環境を確保するためにスケートリンクでアルバイトをしながら生活費を支えていた時期もあったといいます。
2014年ソチ、2018年平昌と二度の五輪出場を経験した選手にとって、競技を続けるかどうかは大きな決断だったはずです。結果が思うように出ない時間や、パートナー不在の状況は決して簡単なものではありませんでした。それでも木原選手は、ペア競技をあきらめませんでした。
ペアは一人では成り立たない種目です。新たな出会いがなければ、再出発することもできません。それでもリンクに立ち続けた背景には、「もう一度世界の舞台で戦いたい」という強い思いがあったといわれています。
その継続が、2019年の三浦璃来選手との出会いへとつながっていきました。
りくりゅう結成のきっかけと9歳差の関係性
2019年、初めて滑った日の衝撃
2019年、木原龍一選手は新たなパートナー候補として三浦璃来選手と初めてリンクに立ちました。当時の三浦選手はペア転向後まもない若手選手で、年齢は木原選手より9歳下でした。
試しに技を合わせたときのことを、木原選手は後に「雷に打たれたような衝撃だった」と振り返っています。特にツイストリフトでは高さとタイミングが自然に合い、体格差によるバランスの良さもすぐに実感できたそうです。身長174cmの木原選手と146cmの三浦選手という差は、ペア競技において理想的な組み合わせの一つとされています。
ペアは技術力だけでなく、呼吸や感覚の一致が何よりも重要です。初めて本格的に合わせたとは思えないほど、技が違和感なく決まったことは、二人にとって大きな手応えになりました。
こうして2019年、9歳差の新たなペアが誕生します。この出会いが、日本ペア史を塗り替える歩みの始まりとなりました。
信頼関係を築いた7年間
2019年にペアを結成した三浦璃来選手と木原龍一選手は、拠点をカナダに移し、世界基準のトレーニングを本格的にスタートさせました。年齢差は9歳。経験豊富な木原選手と、若さと高い身体能力を持つ三浦選手という組み合わせでしたが、リンクの上では対等なパートナーとして役割を分担していきます。
ペア競技では、ジャンプやスロージャンプの精度はもちろん、リフトやデススパイラルでの息の合い方が重要になります。二人は日々の練習の中で細かなタイミングをすり合わせ、技術だけでなく演技構成や表現面も磨いていきました。
結成から数年で、国際大会でも結果を残し始めます。2022年北京五輪では団体で銀メダルを獲得し、ペア種目でも日本勢初の7位入賞を果たしました。さらに2023年の世界選手権では、日本ペアとして初めて優勝。世界王者に輝いたことは、二人にとっても、日本のペア競技にとっても大きな転機となりました。
成功と課題を共有しながら歩んできた時間は、技術の向上だけでなく、精神面での支え合いにもつながっていきます。7年間の積み重ねは、単なる実績を超えた、揺るぎない信頼関係を形づくっていったのです。
北京五輪から世界王者へ──飛躍の軌跡
2022年の北京冬季五輪では、団体戦で日本代表の一員として銀メダルを獲得しました。ペア種目でも総合7位に入り、日本勢として初めて五輪ペアでの入賞を果たします。日本のペア競技にとって歴史的な結果となり、世界の舞台で十分に戦える実力を示した大会でした。
その後も勢いは続きます。2023年の世界選手権では日本ペアとして初優勝を果たし、世界王者に輝きました。さらにグランプリファイナル優勝や四大陸選手権制覇など、主要な国際大会で安定して表彰台に立つ存在へと成長していきます。
一方で、歩みは決して順風満帆だったわけではありません。木原選手がコンディション不良やケガの影響で大会を欠場する時期もありました。それでも二人は基礎練習を重ね、演技構成を見直しながら完成度を高めていきます。ジャンプの安定感に加え、リフトやスロージャンプの精度も向上し、技術点と演技構成点の両面で高い評価を受けるペアへと成長しました。
こうした試行錯誤の積み重ねが、後の大舞台での安定した演技へとつながっていきます。
ミラノ・コルティナ五輪金メダルの意味
2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪のペア種目で、三浦璃来選手と木原龍一選手は日本勢として初めて金メダルを獲得しました。ショートプログラムでは5位とやや出遅れましたが、フリースケーティングで圧巻の演技を披露します。世界歴代最高得点となる158.13点を記録し、合計231.24点で見事な逆転優勝を果たしました。
ペア競技は長年、欧米勢が中心となってきた種目です。日本が頂点に立つことは決して簡単ではありませんでした。その中での金メダルは、日本フィギュアスケート史において大きな意味を持つ快挙です。
もちろん、この勝利が突然生まれたわけではありません。2019年のペア結成以降、海外を拠点に積み重ねてきた練習、数々の国際大会での経験、そしてケガや不調を乗り越えて築いてきた信頼関係。7年間の積み重ねが、大舞台での安定した演技と揺るがない精神力へとつながりました。
ミラノのリンクで手にした金メダルは、二人が歩んできた時間そのものを証明する結果だったといえるでしょう。
三浦璃来と木原龍一が築いた「信頼」の物語
三浦璃来選手が2015年にシングルからペアへ転向した決断。そして、二度の五輪出場を経験しながらも競技を続け、2019年に新たなパートナーを求めた木原龍一選手の選択。別々の道を歩んできた二人のキャリアは、2019年のペア結成によって重なりました。
結成から数年で、2022年北京五輪では団体銀メダルとペア種目7位入賞を達成します。2023年には世界選手権で日本ペア初優勝を果たし、2026年ミラノ・コルティナ五輪では日本勢初の金メダルを獲得しました。こうした成果は、偶然の積み重ねではありません。技術を磨き、信頼関係を築いてきた時間の延長線上にある結果です。
金メダルは一つの到達点にすぎません。しかしその裏側には、転向という挑戦、継続という覚悟、そして7年間にわたる協働の時間がありました。
「りくりゅう」の歩みは、日本のペア競技が世界の頂点に立てることを示した大きな前例です。そしてその軌跡は、これから挑戦する次世代の選手たちに、新たな可能性を示していくのではないでしょうか。

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