岸惠子の結婚と家族|家族を愛しながら「自分」を生きた女性

俳優・女優

国民的スターとして絶頂期にあった24歳でフランス人映画監督と結婚し、パリへ渡った岸惠子さん。

一人の娘を授かり、異国で妻となり、母となりました。

しかし、その結婚は永遠には続きませんでした。

約20年の結婚生活を経て離婚。

その後も娘との関係や国籍問題など、「家族」をめぐるさまざまな出来事に直面しています。

岸惠子さんの人生をたどっていると、ひとつの疑問が浮かびます。

これほど「自分の人生を自分で生きる」ことを大切にした女性は、誰かと家族になることをどう考えていたのでしょうか。

岸惠子さんの結婚と離婚、母娘の関係をたどると、そこには「家族だから自分を犠牲にする」のではない、彼女らしい愛の形が見えてきます。

イヴ・シァンピとの出会い――国境を越えた恋

岸惠子さんが後に夫となるフランス人映画監督イヴ・シァンピと出会ったのは、1950年代のことでした。

当時の岸惠子さんは、『君の名は』の大ヒットによって国民的スターとなっていました。

そんな彼女が選んだ相手は、日本人ではなくフランス人の映画監督。

そして結婚は、単に名字や生活が変わるというだけのものではありませんでした。

結婚するということは、日本を離れ、パリで暮らすということ。

家族や友人と離れること。

そして日本で築き上げてきた女優としての生活からも、いったん距離を置くことを意味していました。

岸惠子さんは、この決断を後に「最初の卵を割った」と表現しています。

彼女の心にあったのは、フランスの諺、

「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」

という言葉でした。

何か新しいものを手に入れるためには、それまで持っていたものを手放す覚悟が必要になる。

1957年、岸惠子さんは結婚という新しい人生を選び、パリへ渡りました。

24歳、パリで「妻」になる

日本では誰もが知るスターだった岸惠子さん。

しかしパリへ行けば、事情はまったく違いました。

言葉も文化も生活習慣も違う。

フランス語を自由に話せなかった岸惠子さんは猛勉強し、新しい環境に適応しようとします。

夫の家では使用人が家事を担っていたため、自分で家事をすることさえできず、何もすることがない生活を苦痛に感じたこともあったと振り返っています。

日本では映画の撮影に追われ、自分の力で仕事をしていた女性が、異国では「映画監督の妻」として暮らす。

華やかに見える国際結婚の陰で、岸惠子さんは「自分とは何者なのか」と向き合う時間を過ごしたのかもしれません。

やがて彼女は、日本とヨーロッパを行き来しながら再び映画に出演するようになります。

妻になったから、女優をやめる。

外国に住んだから、日本での仕事を諦める。

岸惠子さんは、そんな一つだけの生き方を選びませんでした。

妻でありながら、岸惠子であり続けようとしたのです。

娘の誕生――妻であり、母であり、女優である

結婚後、岸惠子さんは一人娘を授かります。

妻という役割に、今度は「母」という役割が加わりました。

子どもを育てながら、日本とフランスを行き来して女優として仕事を続ける。

現在でさえ簡単なことではありません。

まして1950年代から60年代。

女性が結婚や出産を機に仕事を辞めることも珍しくなかった時代です。

岸惠子さんは、母になったからといって「岸惠子」という一人の人間を手放しませんでした。

それは、家族を大切にしていなかったということではないでしょう。

むしろ岸惠子さんの言葉をたどると、愛する相手だからこそ、その人自身の人生を生きてほしいという考え方が見えてきます。

それを象徴するような言葉を、岸惠子さんは自分の母親にも伝えています。

「私のためではなく自分のために生きて」

娘のために生きる母ではなく、一人の人間として自分自身の人生を持ってほしい。

その考えは、やがて自分が母親になってからの生き方にもつながっていったのではないでしょうか。

華やかな国際結婚の陰で

日本とフランスを行き来し、映画に出演する岸惠子さんの姿は「空飛ぶマダム」と呼ばれました。

華やかな響きです。

しかし、国際結婚には言葉や文化の違いがあります。

仕事と家庭があります。

夫婦にはそれぞれの人生があります。

そして、どれほど愛し合って結婚した二人でも、時間とともに関係が変わることがあります。

岸惠子さんとイヴ・シァンピの結婚生活も、やがて終わりへ向かいました。

岸惠子さんにとって、それは単に夫と別れるということだけではなかったはずです。

24歳で日本を離れ、自分で選び取った人生。

その大きな選択そのものを、もう一度見直さなければならないということでもありました。

一度自分で選んだものだから、最後まで守らなければならない。

そんな考え方もあります。

けれど岸惠子さんは、そうはしませんでした。

かつて結婚を自分で選んだように、今度はその結婚から離れることも自分で選びました。

「5月1日は私にとって独立記念日」

岸惠子さんにとって、5月1日は特別な日でした。

結婚するために初めてパリへ降り立った日が、5月1日。

そして離婚するために家を出た日も、偶然同じ5月1日でした。

岸惠子さんは後に、

「5月1日は私にとって独立記念日なんです」

と語っています。

この言葉は、とても岸惠子さんらしいものです。

結婚から解放された日だから「独立」なのではありません。

結婚のためにパリへ渡った日もまた、彼女にとって独立の日だったのです。

親元を離れ、日本を離れ、それまでの自分の人生から踏み出した日。

そして約20年後、今度は夫との生活を離れ、もう一度自分の人生を選び直した日。

どちらも、自分自身で決めた人生の始まりでした。

結婚することも独立。

離婚することも独立。

一見すると正反対の出来事を、岸惠子さんはどちらも「自分で選んだ人生」として受け止めていたのでしょう。

離婚後、母として直面した娘の国籍問題

離婚すれば夫婦の関係は終わります。

けれど、親子の関係まで終わるわけではありません。

岸惠子さんは離婚後、娘の国籍をめぐる問題にも直面しました。

当時の日本の国籍制度では、母親が日本人であっても、そのことだけでは子どもに日本国籍を与えることができませんでした。

フランス人の父を持つ娘を前に、日本人である自分が母親でありながら制度上できないことがある。

岸惠子さんは、その悔しさを後に率直に語っています。

これは「国際派女優」という華やかな肩書きからは見えにくい、国境を越えた家族だからこその現実でした。

国籍が違っても、暮らす国が違っても、母と娘であることに変わりはありません。

しかし家族というものは、愛情だけで成立しているわけでもない。

社会の制度や国境という現実の中で生きている。

岸惠子さんは、自分自身の問題としてそれに向き合いました。

母と娘――離れていても家族であること

娘が成長した後も、岸惠子さんと娘の人生はそれぞれ別の場所へ続いていきました。

岸惠子さんは日本で仕事や執筆を続け、娘はフランスで暮らす。

母と娘だからといって、いつも同じ場所で生きる必要はありません。

それぞれに、それぞれの人生がある。

しかしコロナ禍では国境を越えることが難しくなり、岸惠子さんはフランスにいる娘と約3年間会えない時期を経験しました。

自由に世界を行き来してきた岸惠子さんにとって、会いたい人に会えないという現実は大きな苦しみだったことでしょう。

離れて暮らしているから、愛情が薄いわけではない。

自立しているから、寂しくないわけでもない。

ここに、岸惠子さんの家族観のもう一つの側面が見える気がします。

自立とは、誰も必要としないことではない。

大切な人を愛しながらも、その人の人生を自分のものにしない。

そして自分自身の人生も、誰かのものにしない。

そんな距離の中で家族を愛した女性だったのではないでしょうか。

「私のためではなく、自分のために生きて」

岸惠子さんが母親に伝えた、

「私のためではなく自分のために生きて」

という言葉。

岸惠子さんの結婚と家族をたどったあとに読むと、その意味はさらに深く感じられます。

誰かを愛することと、その人のためだけに生きることは違う。

妻だから夫のためだけに生きるのではない。

母だから子どものためだけに生きるのでもない。

そして娘だから母親の人生を背負う必要もない。

一人ひとりが、自分の人生を生きる。

そのうえで互いを愛する。

岸惠子さんにとって家族とは、誰かが誰かの人生を犠牲にすることで成り立つものではなかったのかもしれません。

妻でも母でも、その前に一人の人間として

岸惠子さんは、結婚しました。

妻になりました。

母になりました。

そして離婚しました。

そのどれか一つだけを見れば、特別珍しい人生ではないのかもしれません。

けれど岸惠子さんの生き方が心に残るのは、どの立場にいるときにも、自分自身であることを手放さなかったからではないでしょうか。

結婚するときには、それまでの人生を離れる覚悟をした。

妻になっても仕事を続けた。

母になっても、自分の人生を生きた。

結婚生活が終わるときには、もう一度自分で人生を選び直した。

そして娘にも、自分とは別の人生があることを受け入れた。

家族を愛することは、自分をなくすことではない。

自分を大切にすることも、家族を愛さないことではない。

むしろ一人ひとりが自分の足で立っているからこそ、誰かを「自分のための存在」にせず、愛することができるのかもしれません。

岸惠子さんは、結婚するときに最初の卵を割りました。

けれど、その一度の決断に自分の残りの人生を縛りつけることはありませんでした。

必要になれば、もう一度選ぶ。

そしてまた、自分の人生を歩き始める。

岸惠子さんの結婚と家族の物語から見えてくるのは、家族から離れて自由になる女性の姿ではありません。

家族を愛しながら、それでも自分の人生を自分で生きる女性の姿です。

妻でも、母でも、娘でも。

その前に、一人の人間として生きる。

それが岸惠子さんにとっての「家族を愛する」ということだったのかもしれません。

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